ジンギスハンは源義経ではなく弁慶
義経と弁慶は北海道へ行き、アイヌの戦士を集めて二年間鍛えた
静御前が来ると思っていた、鎌倉で捕まっていた、海で子を死なせた
安宅の関所で弁慶に殴られてあちこち骨折して後遺症が残った、元気に歩けなかった、肋骨
アイヌ戦士200人を連れていった、既にワームに感染していた
弁慶=ジンギスハンが成り上がり、現地人との間に子供ができた、その子供はジンギスハンの跡を継げると思っていたが、弁慶は義経の子供に跡を継がせたかった
弁慶の子は弁慶に反逆した、弁慶は一人でロケット花火を並べて三叉槍を放ち、子の軍勢を全滅させた
義経の子が跡を継ぐことになったが、頼りなかった、弁慶の子が跡を継ぐほうがよかった
ジンギスハンの家紋は義経の家紋
源→元ではない
ロシア、イスラムも制覇
日本人は2度世界制覇した、ジンギスハン、大日本帝国
地図は意図的に日本を小さく、半島やイギリスを大きく描いている
半島と一緒に敗戦した
船を沈められたイギリス兵を救助した日本兵
(※1942年3月1日のスラバヤ沖海戦で、駆逐艦・雷に沈められて漂流していた422名のイギリス兵を、艦長・工藤俊作の指示により救助した)
イギリス人は今でも日本を武士道の国と考えている
先に日本に攻撃したのはアメリカ、最初にインドネシアで零戦50機を落とした、その後に真珠湾
日本は太平洋に行かず、ヨーロッパ勢と分割統治していたほうが良かった
ヨーロッパ勢が怖かった、ロシアの南下
大日本帝国軍は世界最強、義を重んじた、武士道が通っていた